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祖父、中神明の記録が、満洲鉄道の役員であった兄道二氏の著書の中にあったので引用してみました。

この著作は2012年に行われた、2011年度第二回アジア経済研究所図書館資料展
『史料 満鉄と満洲事変』出版記念企画
「山崎元幹文書と満洲事変」 展示資料リストにも含まれています。
山崎元幹文書



支那事変勃発より大東亜戦争まで
   「我が人生八十年 福井道二 著」より
 昭和十二年七月七日、北支盧溝橋における日本兵の中国側への発砲により、日支事変が勃発し、これがずるずると長期戦になった。日支事変発生後一年たった昭和十三年八月満ソの東部国境である張鼓峰において、ソ連の国境警備隊と日本陸軍との間に、小ぜり合いがあったが、この年は降雨が多く、戦車の活動が自由に出来なかったため大事には至らず治まったのである。次いで翌年(一九三九)は、西の満ソ国境であるノモンハンで日ソの第一線部隊の衝突が、昭和十四年七月から八月にかけて発生し、関東軍は死者四千六百人を出してしまった。この戦いで、ソ連側は一年前の張鼓峰事件で使用して、関東軍の兵隊にやられた、ガソリン使用戦車を廃止し、全部重油戦車とし、航空隊も急降下による攻撃方法に変えて、新しい戦闘機のテストとしたわけだ。
 これに反し関東軍は張鼓峰の際にガソリンを詰めたビンを勇敢に戦車に投げ込むことにより、敵の戦車は炎上したので、大和魂さえあれば戦車にも勝てると思い込んでいたので今回もその方式でソ連軍にあたったが、今度はソ連戦車は重油戦車であるので、ビクともしなかったので、大損害を受けたのである。その年の九月十六日に日ソで停戦協定が成立したのである。
 昭和十四年秋、恒例の参謀本部の軍事輸送会議に出席した際、ノモンハン戦後の陸軍の対策を視察する目的で、陸軍技術本部の松井命中将の紹介状を持って、軍需工場を回ったのだ。
 その際、三菱自動車工場へ行き野口工場長に会ってみると、日本陸軍も昭和十一年ごろより陸軍の機械化を計画、予算もついたというので、三菱自動車が自動車を流れさ作業で作るため、建坪四万坪の工場を建て、機械の整備に着手したところへ陸軍の担当官がこられ、自動車工場を戦車工場に切り換えてほしいとの要請があったので、三菱自動車としては、陸軍の要請にこたえることとしたのである。
 ところが昭和十三年夏の張鼓峰事変での経験により、戦車に対する期待が薄らぎ、三菱への戦車の発注がされないので、三菱としては再び自動車工場に戻す決意をし、自動車製作用の設備の整備を急ぐこととしたのであるが、もたもたしていた二ヵ年の間に、アメリカが対日経済封鎖を強めたので、自動車制作用設備の入手がむつかしくなり、困っていたのである。
 しかし、昨年(昭和十四年十月十五日)陸軍の将官連七名がやって来て「直ちに自動車用設備を戦車用設備に切り換えろ」との指示だ。陸軍の態度にあきれた次第だ。福井はその点を調査するために伺ったのだが私の考え通りであった、と野口工場長に話したことであった。
 ソ連は、関東軍との停戦協定が出来るや三日後の九月十九日ポーランドへ侵入したのである。その翌年(昭和十五年)九月二十七日、日独伊三国同盟が成立したのである。次いで昭和十六年(一九四一年)四月には、ヒットラー軍百五十個師団が、独ソ国境に集結して侵略の機をうかがっていたのである。その四月十三日、日ソ中立条約がモスクワで調印され、次いで六月二十二日、独ソ戦が開始されたのである。
 この欧州の情勢の緊迫するや、日本陸軍も関東軍を強化することとなり、昭和十六年七月初めに参謀本部の要請により、関東軍野戦鉄道司令部の拓殖参謀と二人で上京し、東京三宅坂の参謀本部の裏の森の中にある参謀本部の指定旅館に泊まり、毎日参謀本部へ出頭し関東軍強化の関特演(関東軍特別演習)の輸送計画に参画したのである。
 この計画を携えて奉天の満鉄本部へ帰る途中、特急列車富士で豊橋駅に一分間停車すると、弟の中神明と甥の福井清が展望車のところへ来て「われわれは招集を受けたが、どこへいくのだろう」というので「何でもよいからやってこい」と一言告げて別れたのである。この二人は間もなく出征し明は虎林に、清は東寧の近くへ駐とんしたのである。
 この関特演が終わって間もなく、昭和十六年九月下旬に、朝日新聞社の記者で満鉄の嘱託であ
った尾崎秀実君が、満鉄新京支社へやってきた。尾崎君の申し出により新京支社の平島副総裁(支社長兼務)以下幹部十名ほどが支社長室に集まり、尾崎嘱託と時局問題につき懇談することになったのである。
 最初に尾崎氏が独ソ戦の状況、アメリカ対日経済封鎖と、これに対する日本国民の対米感情とくに日本国内の田舎における人びとの愛国心等につき約一時間にわたり説明があり、次いで「今回陸軍は関東軍を強化したがこの関特演の強化兵力ならびにこれが配置状態はどの方面であるのか」と質問してきた。
 支社長室に集まった者は、小生以外関特演の内容を知るものは一人もいない。従って小生が発言しなければ誰も言えないことは当然である。最初尾崎氏の話を聞いていると、愛国心の強い立派な人だと思っていたが、関特演の内容質問を聞くに及び、これはおかしいと思い出したので、一言も発せず散会したのであった。
 その後、十月になって尾崎秀実君は、上海の満鉄事務所でゾルゲ事件に連座し、国際スパイとして逮捕され、その後一九四四年(昭和十九年)処刑されたのである。この事件で満鉄上海事務所の調査役の後藤(尾崎と同期の大正十四年東大法科)が逮捕され、後藤は二、三ヵ月位苦しんだようだ。
 昭和十七年一月十五日に、ハルビンの鉄道工場の庶務課長より僕の自宅へ電話で「福井さんの弟さんといわれる人で、東辺道に駐とんしておられた方が、今朝ハルビンを発ち大連へ向かわれたのでお知らせする」との伝言があり、さっそく準備しその日の夜行列車で家族一同を連れ大連へ向かった。
 翌朝、大連着ただちに宿営所であった西公園内の保健館へ行って見ると、その約一時間前に乗船のため大連ふ頭へ向かったとのこと。軍事輸送担当者として軍隊が宿泊地を立って一時間ぐらいで出航するハズがない。必ずふ頭にいるものと判断し、大連ふ頭へ行き輸送司令部の岸本司令官をたずね事情を説明すると「今、乙ふ頭に停泊している船が間もなく南方に向けて出航する予定だ」とのことで、岸本中佐が案内してくれるとのことであったが、同氏も多忙なようなので、軍嘱託の腕章を借用し一人で乙ふ頭の輸送船へ行き、船長室兼輸送司令官室へ行き、司令官に面接し事情を説明したところ「あと一時間で出航だがそれまでは連れて下船してもよいが、責任をもって帰船さして欲しい」とのことであった。
 時あたかも一月十六日の午前八時ごろであるので、外は寒いが連れだしてふ頭の待合室で家族(ひで、良輔、通明、道子)に会わせ軽い朝食を共にし、司令官が酒が好きとのことに、日本酒「月桂冠」二本(奉天より持参したもの)と、手持ちの日本紙幣(満洲で一般に通用している満洲国中央銀行発行の紙幣は、南方では使用できない)十円券の手持ちのもの(四枚しかなかった)およびロシアチョコレート一箱をもたせたが、これが弟、明との最後の別れとなった。
 明がビルマのラングーンの病院で戦病死したとの電報を受けたのがその年(昭和十七年)六月十六日で、大連で別れてからちょうど五ヶ月目であった。それにつけてもぼくが気になることは、明は満洲を出るときに風邪を引いたのではないか。その風邪が戦病死の原因ではないかということである。というのは、陸軍では極寒零下三十度の虎林にいた部隊が、大連へ来たとたんに、関東軍給与たる冬装束から南方軍給与の夏装束に変えさせられたのである。
 ところが、大連の一月十六日は、零下十度以下の寒さであった。船から連れだし、家族の待つふ頭の旅客待合室まで往復七百メートルは駆け足で走ったが、どんなにか寒かっただろうと思う。

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2015.05.25 Mon l 日記 l top
23日、24日は藤沢市民会館で産業フェスタがありました。
毎年のことですが、人も多く盛り上がってましたよ。
牛もきていて、農業高校の生徒たちが牛乳について講演をしてました。
U字工事、じゅんいちダビッドソンなどのお笑いライブもやってました。

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お笑い

辻堂海浜公園でも5/23・24は『春の公園まつり』がありました。
春祭り

2015.05.24 Sun l 日記 l top
土曜日から七里ヶ浜でサーフィン大会(ロングボード)が開かれていたようですね。



午後は娘と遊行寺へ・・・本堂でお祈り。
境内前では骨董市が開かれていました。
隣にある藤嶺学園藤沢中学校・高等学校(中高一貫校)は
100周年を迎えたそうで、藤沢北口駅前にも提灯が並んでいました。
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遊行寺
2015.05.18 Mon l 日記 l top
今日は家族と一緒に赤坂に出かけた。
意外と閑散としていてました。
何故か、数日前からほっぺが腫れていて痛い。
毎年、この時期になると、耳の後ろの汗腺から
バイキンが入るとかで腫れるんだよなぁ・・・
イタタタ(・_;)

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TBSです。
2015.05.16 Sat l 日記 l top
GW、全く予定を組んでいないので、どこに行くわけでもなく・・・。
小田急線は江ノ島方面が満員でした。鎌倉に行こうと思ったけど、
気が変わって町田へ。ぶらぶらして終わりなんだけどね。
帰ってきて、夫婦で頭痛が激しく、そっこうバファリン。良くないよね。
偏頭痛持ちで小学校の頃からバファリンにお世話になってます。
今晩はたこ焼きパーティー、気分がすぐれない・・・しかも、たこ焼き器
に手がジューってアッチぃ。さっきは、子供が咳をしだして、ちょっと
喘息気味なので、ゲーゲー吐いてしまってる。ここ一ヶ月、咳をしだす
と止まらず、結局最後はゲーゲーと・・・。寝てる時に吐いて窒息しない
か怖いので、あんまり寝れないし。なんとか治ってほしい。
心配です。
2015.05.04 Mon l 日記 l top
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